校長室の窓から
     
 

平成21年10月27日(火)

   今日は吉田松陰先生のご命日。今年は没後150年にあたり、萩市の松陰神社境内に「至誠館」も開館しました。
 校長室にある松陰先生の像は高さが約62p、台座の横には「皇紀二千六百年記念 上納者 武部穗吉」、台座裏には「身はたとひ 武藏の野邊に朽ぬとも 留め置まし大和魂」と辞世の句が彫られています。皇紀2600年は昭和15年で、本校の創立は昭和16年。創立の時からずっと校長室で本校の様子を見守ってこられたのかと思うと感慨深いものがあります。
 松陰先生の兄で、遊学するための旅費や学資を送り、その活動を支え続けた杉民治さんは、明治3年から明治9年まで、広瀬の地を含む山口県第三大区の区長として数々の偉大な業績を残されました。そういうご縁もあります。
 この機に、本棚に眠っている『吉田松陰』(玖村敏雄 著)を読み直してみようかと思っています。

平成21年7月13日(月)

 広瀬高校をずっと見守り続けてきたオオサンショウウオのふじちゃんが亡くなりました。毎朝、学校の周囲を巡回し開門するのが私の日課ですが、この日の朝はふじちゃんの姿が見えません。聞けば、11日未明に亡くなったとのこと。推定年齢95歳。体長は130cmで世界第2位といわれていました。
 私が校長会など県単位の会合に出た時、旧職員はじめ広瀬高校をよくご存じの方から聞かれていたのが「ふじちゃんは元気?」という言葉でした。みんなに愛されていたふじちゃんに広瀬高校の最後を見届けてほしかったのに、とても残念です。このあと骨格標本になるということですが、できれば姿をとどめた剥製で残していただきたかったです。心から冥福を祈りたいと思います。



平成21年6月20日(土)

 今日は広瀬高校としては最後の文化祭で、3年生の劇も締めくくりにふさわしい素晴らしいものでした。分校2年生による両校校旗をあしらった展示もありました。
 校誌編纂委員会では、広瀬高校のこれまでの歩みを写真や学校新聞など学校に残る資料で振り返る回顧展を企画したところ、多くの反響がありました。来春の校誌発行に向けて取り組んでいますが、まだ資料が足りないところもありますので、同窓生や旧職員の皆さんなどで古い資料をお持ちの方はぜひ提供をお願いします。




平成21年4月28日(火)

 八十八夜を前に、恒例の茶摘みを行いました。小学生や中学生、近隣の特別養護老人ホームや介護老人保健施設の方々の参加を得て、世代を超えて交流をしながら楽しく茶摘みをしました。また、1・2年生は岩国高校広瀬校の生徒であり、岩国高校の校長先生や教頭先生の参加もありました。登校路のこの茶垣は、本校創立当時の生徒が茶の実を植えたのがここまで育ったものです。先人の思いを受け継いで今後ずっと続けてほしいと願っています。
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